雛人形で幸せな日を演出しましょう
デイリーは汚れたお皿を洗いながら、「じぶんのうちのためなら、どんなにはたらいたってなんでもないのに」と考える。
料理番に指図されるのに「もううんざり」と思うのは至極当然なこと。
「ここにいるかぎり、あらったりこすったりで、わたしの一生はおわってしまう。
自由にくらせて、なんでもじぶんじしんできめられる場所を、みつけなくちゃ」と考えて、即、実行にうっすのだ。
命令されたり、怒鳴られるなんてまっぴらだし、「なんでもじぶんじしんできめられる場所を、みつけなくちゃ」と思うのは誰でも同じだ。
こんなふうに読んでいくと、この絵本は女性の自立の物語とも読めてくる。
いいぞ、デイリー。
がんばれと応援したくなる。
デイリーはその夜のうちに編み物と裁縫道具を入れたかぽんと大きな傘(これがあとで大いに役に立つ)をもって人形の家を出てしまう。
人形の家の外に出ると、そこは子ども部屋のたんすの上で、彼女は傘を器用に使って懸命に下に降りる。
そして家の玄関にたどりつこうと歩くのだが、疲れて階段の下の物入れで寝てしまう。
寝たところは、猫のお出かけ用のかごで、「もしねこにみつかったら、たいへんなことになるよ」と教えてくれたぬいぐるみのくまのエドワードと友だちになる。
デイリーはこれまでのことを話し、エドワードはいっしょに家探しをしてくれることになる。
はじめ、エドワードは家の中の本棚の間に住むとか、人間のコートのポケットに住んだらとか、あるいは食器棚はどうかなとデイリーに提案する。
エドワードの考えるのはどれもちょっと滑稽なアイデアだ。
デイリーはことごとく実際的な理由をいってはっきり反対する。
そう、彼女はとても現実的に考える性格の人形なのだ。
そしてとうとう、庭の古い温室にあった木の箱がデイリーの新しい家になる。
まずは、家(木の箱)をすみずみまで彼女はきれいにする。
ほうきは棒切れに小枝をなわでゆわえて作ったもの。
虫がやってきてもひるまず、このほうきを突き出して追い返してしまう。
さらに、エドワードの持ってきてくれた「がらくた」(プラスティックのケースや魔法瓶のカバーなどいろいろ)を、洗濯したり、つくろったり、工夫して、暮らしの品々に利用する。
リメーク、リユースするのだ。
デイジーのプランターや、しおれた草木から芽を出させた鉢まであるりっぱな自分の家にしてしまう。
メイド時代とは打って変わってティリーはじつに楽しそう。
立派なものでなくても利用し、自分の家を整えていくことは、きれいな家でメイドとして暮らすよりよほど喜びに満ちたものなのだ。
仕事をしながらときどきいうひとりごとに、彼女らしい考え方がにじんでいる。
たとえば、洗濯をするために水汲みの道具を工夫しながら、「意思あるところに道おのずからひらく」とつぶやく。
お針しごとをしながら、「きょうの一針あしたの十針」と思ったりする。
しわくちゃだった包装紙を壁紙にしようと決めて「むだをはぶけば不自由なし」といったりする。
彼女にはこうした格言にあらわれるような暮らしの哲学があるのだ。
堅実で古風な、けれどもいつでも変わらない暮らしの哲学が彼女の勇気を支えているのかもしれない。
その、きっぱりした考えが気持ちよい。
くよくよ、うじうじ悩むなんて、デイリーには無関係。
こんな、くじけず、負けない人形がいるのはじつにうれしいことだ。
この物語の面白さは、デイリーという人形が自分の感情に忠実で、そのために努力する、その姿勢が気持ちいいほどすっきりしていることかもしれない。
現実のしらがみから逃げられないことは多いから、デイリーのように生きる選択肢もあることに目を開かされる。
「ああ、こんな生き方もあったんだ」と。
『ティリーのねがい』のつづきもあって、『デイリーのクリスマス』という。
これは、デイリーがクリスマスのために部屋をかざり終わっても、フリーを持ってくるはずのエドワードが来ないところから始まる。
部屋はすっかりクリスマスモード。
植木鉢にはヒイラギ。
金色の星型があちこちにこぼれ、輪飾りがカーテンレールにきれいにとりつけられている。
しかし、待っても待ってもエドワードは来ない。
夜が明けてもやはり来ないので、心配になったデイリーはエドワードを探しに出かける。
あの役に立つ傘を持って。
彼女が街中に行くなんてはじめてのこと。
車の行きかう通りを工夫して渡り、傘で犬を撃退し、人間の靴に踏みつけられないように避けて歩き、野菜や果物を売っている店にやっとたどりつく。
どうやら、エドワードはその店にいるようだ。
そしてまたもやデイリーは知恵を発揮する。
やはり、勇敢な人形デイリーなのだ。
メイドだったデイリーは、こきつかわれるメイドの暮らしを嫌い、きっぱり捨てて、人形の家を出ていった。
そして、自分の家を見つけ、くまのエドワードという無二の親友も得た。
かつて住んでいた子ども部屋の人形の家ほど立派でなくても、友だちがいて、自分らしくやりくりし、アイデアを生かした家で暮らせるほうがいいと思うのはデイリーでなくとも当然。
意思を通してよかったね、と思う。
この人形デイリーを見ていると、勇気を出せば、そして工夫すれば自分らしい暮らしができるんだと思わせられる。
そう、元気が出てくる人形の絵本だ。
G氏には人形の物語がとても多い。
これまでに翻訳されたものとして、古典的名作といえる『人形の家』をはじめ、『クリスマス人形のねがい』『ポケット人形』『ふしぎなお人形』等々があった。
最近、『帰ってきた船乗り人形』が翻訳出版されて、G氏の人形物語の厚みがさらに増した。
この物語は、それまで紹介されたG氏の人形物語の系譜からいうと、喪失と回帰、願いと実現というテーマは『人形の家』『クリスマス人形のねがい』の流れにあるし、勇敢な人形という動的な人形のイメージは『ポケット人形』の流れにあるように思われる。
ただ、物語は必ずしも一つのテーマ、イメージに収斂していくわけではないので、大まかにみるとという断りをつけておきたい。
そういうわけで、『帰ってきた船乗り人形』は、G氏の人形を主人公にした物語のテーマが集約されて書かれていると読めないこともない。
このお話の舞台はウェールズの海辺の町。
イギリスは四つの地方に分かれていて、それを併合したものがグレートーブリテンと呼ばれている連合王国である。
その一つの地方であるウェールズはウェールズ語という独自の言語を持っている。
この物語ではそうした地方の言語にも作者がこだわった作品である。
人形の家と人形の持ち主はシャーンという女の子。
彼女には兄と姉がいる。
シャーンの人形の家にはなぜか男の人形がいない。
この人形一家のメンバーは、お母さんのローリー夫人、いちばん上の娘ド上フ、双子の女の子の人形、末っ子の赤ん坊のバブちゃん、メイドの人形のモレロ、子守係のルイスさん(これはウェールズ人形で、セルロイドでできている)、そして子どもたちの家庭教師のシャーロット先生で、女性ばかりの家族構成である。
そこへ船乗りになりたいという男の子の人形のカーリーがやってくる。
カーリーは元気がよくて、正義感があり、勇敢な少年だ。
じつは人形の一家の主人であるローリー大佐は海辺のピクニックで砂嵐のあと、行方不明になってしまった。
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